夕方に見えるかもしれないけれど、朝です。
最近特に、日の出直後・・というか、低い位置で太陽が見えているという事が少ない気がする。
大抵は空の下方に靄が鬱積していて、やっと陽が見えた位置はかなり高く、
きつい光りになってしまう上、更には仕事に間に合わず写真どころでは無い、という話しになってしまう。
以前は、この電柱の後ろはコンクリートの壁であって、
誰の仕業か猫の出入り用としか思えない様な穴まで空いていた。
この電柱も随分と撮影に利用してきた。
4年程遡るが、猫と遊んでる最中に煙草の吸い殻を捨てるに捨てられず、
側面の穴に突っ込んでおいた事がある。
気がつく度にチェックしてるのだが、このときも未だそのままであった。
秋も熟しはじめる頃、ジュードの活動は積極性を増し、
久美子の駐車場にまで入ってくるようになった。
が、こうやって久美子を動かさない限り、
彼は車の下に入って我々の撮影風景を眺めているだけである。。
彼の”寄れる”ための精進・・地道な執拗さとでも言うものは、
猫写真のそれと似ていたりしないか?(笑)。
私がジュードに親近感を覚えるのはそういう所にも因るのかもしれない。
ということで、日々躍進しているようではないか!
・・・・・。
何でだろーなあ・・俺にも解らないヨ。。
ま、そのうちいい事アルって!
その後もジュードにとって特にいい事は無いようであった(笑)。
マイペースに秋を満喫する久美子である。
単独暮らしになってから、丸1年が経過したことになる。
私の周りでは、実はそういう猫はかなり少ない。
あれから久美子の表情は変わったのかどうか?正直判らない。。
ただ、鳴きまくりの彼女の性質だけは、ずっと一貫している。
たくさんの掬が成る頃、ここからブチを連れて帰った事を、悔やむ事がある。
彼は東向きの暗い部屋で、いつも同じ景色を見ている。
見晴らしのよくなってしまった整理中の地で、随分久美子を引っぱり回した。
ジュード居れば更に楽しく、そんな中で秋の夕暮れはすぐに終ってしまう。
遊んで貰ってるのはやはりこちらの方だろう。
町中では銀杏の絨毯が出来ると、それが冬と秋の境目だと思う。
ここには銀杏は無いが、やがて何かしらの合図が来るだろう。